手紙を読んで思い出したこと


相方さんのお父さんのお姉さん。◯子さんから手紙が届く。

昭和7年生まれだから今年90歳。私にとっては親戚というよりは友達のような存在で

以前なら車で数時間走れば会いに行ける距離に住んでいたが、

遠くへ越してしまい2年くらい会っていない

いつもながらのしっかりした美しい筆跡の短いお手紙と共に

昭和16年からの満州での暮らしと

敗戦、引き揚げまでの出来事が印象深く綴られた手記が

同封されていた。

ちゃんと聞いておきたい話だったので、じっくりと読む。

文章は満州の季節の美しさから始まっていた

状況は悪くなり過酷になっていくが、数々の運と人に恵まれ帰還できたことへの

感謝の言葉で締めくくられる。

聞いて覚えている話、聞いていない話、聞いたけれど忘れていた話

グッとくる。

インタビューに行かねばならぬ!と思い

暮らしているホームへ問い合わせをすると、まだ面会はできないという。

目処は立っているのでしょうか?と伺うと

立っていないという。

そうだよな、、、大問題だよな。

電話は広いスペースにあるようで遠くの方で声がしている

あの中に◯子さんはいるのだろうか。

粘ったところでどうなるものでもないのでお礼を言って電話を切る


なんとか会えないものか、、、。


最後に会った時、コロナ禍(しかもデルタ株!)だったけれど

◯子さんはマスクもせずに引っ越しの雑用に動き回っていた。

片付けの目処がつくと、おしゃべりをしながらあるもので料理をして

一緒にご飯も食べてわいわいと過ごした。

正直なところ、こんなに忙しいのに料理???と思ったけれど

こうやって、とても疲れている時には

手で作ったものの方が体に染みるし、冷蔵庫のものを使いきれない

というのは、戦争の体験のある人にとっては

考えられないことなのだろう。

・・・

あれ?結局最後は食べ物の話になってしまったので

この時の食べ物の後悔を一つ。

そしてこれは食雑記のカテゴリーに入れよう。


冷蔵庫に、豚肉と牛肉があった。

牛肉の量が足りなかったので

豚肉で牛蒡巻きを作ったのだが、

わぁ!美味しそうだ!と言って口に運んだ皆さんの顔がほんの一瞬曇った。

多分、関西では牛蒡巻きといえば牛肉なのだ

皆さん関西人なのだった。

そうは言わずに全部食べてくれた。

(私の家族なら、まず一言、軽快にダメ出しをしてから全部食べるだろう)

残っていた牛肉も使って仕舞えばよかったんだよな。

と今でも時々思い出す。